コーヒーとミシン



朝ミシン。

7月の寒い朝
しまったー窓がひとつあいてた。
喉ガラガラ、ハーークション!
加えてからだパキパキ。歳だ。

ミシン休憩して、曇って光のないソファにごろり。まだ息子の騒々しさがない今が心地よい。たくさん寝たあとの朝、自分だけのひそやかな雲隠れのような時間は不可欠。実現の日は嬉しい。


4時と4時半と6時に目覚ましをかけ、
目覚ましのならない5時に起きた。
4時半の次はなぜ6時だったのか。


tabiaの動きに関して迷いごとが起きる。
自分の優柔不断さが災いする。

動きが次第に大きくなっていくこと、知られていくということはこういうことなんだな。

ありがたい反面、ついひっそりしたくなる。

先への意思を定めずに進んで
周りの流れに越され始めると必ずこうなる。34年生きてそこまではわかるようになってる。

これまでのように逃げ出したりしないよう自分のペースを守るべきか。
そもそもなにが自分のペースなのか。
強いて言うならいつも伸び縮みして
散りじりで集められないのが自分だと思う。
てことは どうにでも動けるということかな。

どれどれ
もうひとコーヒー、もうひとミシンに戻るかな。